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合唱団の生まれた日

1972年5月1日 芽室中学校の音楽教諭 梅島弘氏に指導をお願いし、団員10名の「やまなみコーラス」が誕生しました。

今日の“やまなみ”を夢見て・・・

日高の山並が山裾からほんの少しづつ春の装いを始めた頃、歌うことが好きな4.5人の主婦が「芽室にもコーラスグループがあったら・・・」という願いが叶えられたのです。宮沢さんと2人で芽室中学の音楽の先生であった梅島先生を旧校舎にお訪ねし、指揮をお願いしました。
先生は、前任地の上士幌で、農業青年団のコーラス指導をなさっていて、私達の願いも快く引き受けて下さいました。
“当たって砕けろ”的心境で伺った私達でしたので、先生の快諾は本当に嬉しいものでした。何度か立ち消えそうになりながらも、先生の熱意に応えなければ・・・と歌い続けました。
合唱団の名前は、皆が持ちより、投票で決まりました。今日の“やまなみ”を夢見て・・・ ソプラノ 西宗友子

2、3人の時にはよくコーヒーを飲みに行きました・・・

・・・私が芽室中学校に勤めて間もない或る日、西宗、宮沢両夫人が訪ねて来られ歌の好きな数人の仲間でコーラスをやりたいので、ぜひ指導をお願いしたいとの事でした。
お2人の熱意に負けてお引き受けしたものの、青年達とは違い皆一家の主婦ですし目標も異なりました。青年達は十勝大会で優勝させることでしたからかなり厳しいことも云いました。
主婦の集まりですから、それぞれの家庭の都合もあって、練習日に1名の時もありました。2、3人の時にはよくコーヒーを飲みに行きました。時には初代会長さん宅へおしかけ、ご馳走にもなりました。
ご主人の転勤による出入りもかなりありましたし、なかなかメンバーが増えないことも悩みました。
「やまなみ」・・・これを決める時、みんなの気持ちの中にちょっぴり「せせらぎ」に対して意識があったように思います。でも着々とせまりつつあると思います。・・・頑張ってください 10周年記念演奏会 プログラムより  初代指揮者 梅島 弘

いつも会員を増やしたい、そして混声合唱にしたいというのが、みんなの夢でした・・・

・・・歌うことに意義を見つけた人達が、自然発生的に集まり、それも始めは、女性ばかりのささやかな集まりでした。指導して下さる先生は芽室中学の梅島先生でしたが、殆どの会員が家庭の主婦で、週1回の練習日には、夕食後の用意を大急ぎで済まし、練習会場の町民会館に、あたふたとかけこみ、発声練習をしました。
学生時代コーラス部にいいた方や、職場で歌声活動をしていた方々もおられましたが、とにかく、声を出すことが好きな集まりでした。中にはまだ小さい子供を、お姑さんに託してからかけつける、熱心な農家の若い主婦もいました。
やがて、名称も投票によって、目前に広がる日高山脈のように、美しく、たくましく成長するよう、希望をこめて「やまなみ」と決まりました。そんな中、私が年長のために会長に指名されて、約2年間努めさせていただきました。
振り返りますと、本当に何も出来ませんでしたが、第1回発表は、やまなみが発足して3年目の6月だったように記憶しています。いつも会員を増やしたい、そして混声合唱にしたいというのが、みんなの夢でした。
会員倍増を合言葉に、友人知人の其の又、友人を誘い、お店などにコーラス団員募集の張り紙をしていただいたり、みなさんそれぞれにご苦労なさったと思います。 10周年記念演奏会 プログラムより  初代会長 村元 弥枝

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